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2024.04.02

平和と戦争

平和と戦争

2024/3/30 山下 政治

 
1956年にオードリー・ヘップバーン主演の「戦争と平和」という映画が上映されたのだが、今回は「平和と戦争」と題して記載する。
議会によって設立された、独立した無党派の米シンクタンク、United States Institute of Peace(アメリカ平和研究所)から今年1月29日に発表された「平和を望むなら、戦争と外交に備えよ」と平和研究所としては、なんとも勇ましい題名の論文だ。この論文は朝鮮半島をテーマとしているので日本にも少なからず影響があるのではないか、との思いで執筆した。
 
「朝鮮半島で戦争を回避し、平和を追及するためには抑止力と外交の組み合わせが鍵となる。」(i) という文章で始まる。
ここで抑止力という言葉が出ているが、抑止力については筆者の前回記事「技術がおよぼす抑止力」で抑止力について書いているので参照願いたい。
 
「4世紀のローマ帝国の将軍が提示した、一見逆説的な助言を思い起こすことが役に立つ: Si vis pacem, para bellum. 『平和を望むなら、戦争に備えよ。』
 
このローマ時代の格言は、攻撃的な敵に直面した場合、軍事力を強化することで、敵が攻撃を仕掛ければ懲罰的な反撃を受けることを知り、そのような攻撃を行うことを思いとどまらせるという意味である。戦争に備えることで平和を実現するという考え方は、何世紀にもわたって安全保障戦略の重要な基盤となってきた。今日、私たちはこれを「抑止力」と呼んでいる。」
(i)
その通り、安全保障戦略の要は軍事力強化による抑止力なのである。
しかし全ての国が平和のために戦争に備えられるわけではない。十分な抑止力を構築、維持することができなければ逆に弱さを曝け出し、侵略を招くだけだ。
欧米列強諸国がアジアを侵略した歴史がある。チャイナは欧米に寝返り欧米諸国と共に行動したため侵略は免れた。アジア諸国はことごとく侵略され植民地にされたが、日本とタイは植民地にならなかった。タイはアジアの植民地政策のためのHead Quarter(本部)を置いたため植民地にはならなかった。日本はなぜ当時植民地にならなかったのか。それは武力があったからだ。侵略を許さない十分な武力を持ち百戦錬磨の猛者が日本を植民地にはさせなかった。まさに抑止力だ。
 
戦争を回避し最終的には平和を達成するためには抑止力と共に外交が必要となる。
「冷戦時代、米ソは互いを抑止するために巨大な核兵器を保有する一方で、互いの競争を緩和・安定化させ、核戦力を制限・削減し、危険な誤算を避けるために透明性と信頼醸成措置を採用し、総じて互いの競争が制御不能になるのを防ぐために外交を行った。」(i)
平和を望むなら戦争に備えよ、しかし同時に外交も追求しなければ達成はできないのだ。
 
「朝鮮休戦協定から70年、朝鮮半島の真の平和への希望は薄れ続けている。近年、安全保障環境は劇的に悪化している。緊張と不安定を増大させている主な原因は北朝鮮が核・ミサイル能力の拡大と多様化に執拗に取り組んでいることである。」(i) 北朝鮮の緊張と不安は近年さらに成長している。特に核兵器である。
「金正恩の積極的な核態勢の動機は何なのか。それは本質的に防衛的なものなのか。外国の干渉や攻撃から体制の存続を確保するためなのか。それとも本質的に攻撃的なものなのだろうか。韓国を威嚇・強要し、平壌の支配下に半島を統一するためなのだろうか。もちろん、我々にはわからない。推測するしかない。」(i)
北朝鮮の指導者金正恩書記長が核武装する本意が不明だとしている。最初の核開発は金正恩の祖父、金日成が指導者であったころから始まった。そして金正日に引き継がれ今に至っている。
「今や金正恩は南北関係を支配し米韓同盟にくさびを打ち込み、ますます攻撃的な挑発行為を行うことができると感じているのかもしれない。そして、エスカレーションのリスクをコントロールする自分の能力を危険なほど過信するようになるかもしれない。」(i)
ここまで指摘するとは、金正恩はもはや狂気の沙汰なのか?と思われても仕方がないのかも知れない。
北朝鮮の脅威に対する同盟国の対応は集団的抑止力である。最高政治レベルでは韓国の尹錫烈大統領と米国のジョー・バイデン大統領が緊密に連携している。2023年8月のキャンプ・デービッド・サミットでは日本の岸田首相も加わり3ヵ国間防衛協力を強化した。そしてこの3国は北へ外交的関与を求めたがこれらのイニシアチブは北朝鮮に拒否された。
北朝鮮による外交の拒否は、よりいっそう危険な状況であると認識する必要がある。北はわれわれの脅威となる能力を高め続けている。一方同盟国は大規模実践共同防衛訓練、米弾道ミサイル潜水艦の寄航、米戦略資産の訪問など抑止力を強化している。しかし、平壌は「北を攻撃するための準備であると主張するこれらの同盟国の努力を非難している。これらの努力は、自国の核開発計画をさらに加速させ、さらには先制核兵器のドクトリン(政治・外交・軍事における基本原則)を正当化するものだ」(i)としている。そして北朝鮮の核兵器保有は不可逆的であり、もはや交渉の余地はないと繰り返し述べているのだ。
しかし北を正当な核武装国として受け入れることなどできない。違法かつ欺瞞的に核兵器を獲得した北を容認することは、核不拡散体制に大きなダメージを与える危険な前例となる。「米国とその同盟国は、朝鮮半島の完全な非核化という最終目標を堅持し続けるべきである。しかし今は、最も差し迫った脅威である、意図的または不注意による武力衝突が核レベルにまでエスカレートするリスクに焦点を当てるべきである。」(i)
 
本来であればここで日本の出番なのではないか?日本は北朝鮮に対しては拉致問題がある。拉致問題の解決と日朝国交正常化により、この一触即発の状態を打開できるチャンスなのだ。これが外交力だと考える。前述の4世紀のローマ帝国の将軍が提示した『平和を望むなら戦争に備えよ』だけではなく外交を賢く使うことも平和を望む手段ではないのか。
この古くからの忠告には多くの真実もある。抑止力は平和を実現するか、少なくとも戦争を回避する必要条件だ。抑止力には外交が伴わなければならないが、その外交も行き詰まってしまった時、、、平和を望むなら戦争に備えよ。
 

 
参考文献
The Global Journal, May 21, 2013
https://www.theglobaljournal.net/group/global-security-and-war/article/1107/index.html
技術がおよぼす戦略の優位性
 
21世紀は何を求める戦争になるのか?
https://www.sanseito.jp/translation/9009/
 
技術がおよぼす戦略とパワーバランス
https://www.sanseito.jp/translation/9009/
 
画像
参政党神奈川19支部田中譲二氏作成のAIイメージ
ありがとうございました。

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