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2022.04.22

ウクライナ紛争の歴史的背景(1) - アシュケナージのユダヤ人誕生編

ウクライナ紛争の歴史的背景(1) – アシュケナージのユダヤ人誕生編

 

2022/4/22 台湾軍事ニュースネット
カテゴリー:外交・防衛

 

はじめに

今年(2022年)2月末のロシアのウクライナ侵攻で始まったウクライナ紛争は現時点で長期化の様相をみせております。「主権国家であるウクライナを侵略したロシアが全面的に悪い。」「日本は全力でウクライナを支援すべきだ」という考えを持つ日本人が多いようですが、そこで思考停止することは真実を探求することにならないと思います。もちろん軍事的侵攻の口火を切ったロシアに責任があることに疑いはありませんが、ウクライナは侵略されただけの純粋な被害者でしょうか?またその裏に何世紀にもわたる民族間の怨念の歴史が影響していないのでしょうか。この文章は「DIME勉強会」で連載進行中のものを数回分まとめて発表しております。

 

ウクライナ紛争の根本を知るには東ヨーロッパの4つの虐殺を知ることが不可欠

ウクライナ紛争の原因を色々と勉強していく中で、地理的・歴史的背景を知ることなしに全体像を理解することはできないと思うようになりました。日本のように海に囲まれそれが自然の国境になって二千年間安定して国が続いてきた幸せな国と異なり、ウクライナは東と北が強大なロシアの勢力、西が自分自身の独立が危ういポーランド、そして南は黒海に囲まれています。その中で単なる一地方だったり、独立国だったり、ソ連の衛星国だったりしたわけです。そういう地理的要因だけに各民族が入り乱れて攻防を繰り返してきたのですが、ここ100年ほどの間に4つの民族大虐殺が行われています。

・ポグロム:スラブ民族(ロシア・ウクライナ人)によるユダヤ人虐殺

・ホロドモール:ソ連による計画的ウクライナ大飢饉

・ホロコースト:ナチスによるユダヤ人虐殺

・カチンの森の虐殺:ソ連によるポーランド将校(エリート・貴族)の虐殺

この民族同士の虐殺から逃げた人々の多くがアメリカに移住し、その子孫が政権の要職に就きアメリカの外交政策を決定したり影響力を与えたりしています。例えば、今の国務長官ブリンケン氏はウクライナ・スラブ系ユダヤ人ですし、ブリンケン氏の下で外交を束ねる国務次官のヌーランド氏も同じくウクライナ・スラブ系ユダヤ人です。それらの人が真っ白な感情で米国の外交方針を決定しているとは思い難く、過去の虐殺に影響を受けていると考えるのが妥当だと思います。傍証としてブリンケン氏やヌーランド氏に影響を与えたポーランド移民のユダヤ人政府高官の外交戦略論文も残っています。

それらのことも交えてまず4つの大虐殺に関して順次書いていきたいと思います。

 

ユダヤ人の歴史を知ることなしにヨーロッパの歴史は語れない

前章で述べた4大虐殺のなかの筆頭ポグロムというのは、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の何世紀も前からヨーロッパであったユダヤ人虐殺のことです。それを解説するには、おおざっぱなユダヤ人の歴史を語らないと理解できないので、ユダヤの歴史を紀元2世紀ころの「ディアスポラ(離散)」から話していきます。そんなわけで、ポグロムの話が長くなりますがお付き合いください。「国際金融資本が~」という話をするときにも、なぜ国際金融資本ができたかの基礎知識になると思います。

イスラエル建国後も欧州各地には祖国を持たなかった民族としてユダヤ人がバラバラに住み着いていましたがそれは何故でしょう? 歴史を振り返るとユダヤ人は紀元前からエジプトとバビロニア(現イラク)の間で、主にシナイ半島からヨルダン川付近にエルサレムを首都として住んでおりました。長い歴史を持つ民族なのでその間にアッシリアや新バビロニアなどに何度か滅ぼされましたが、そのたびに立ち直り、元の地に戻って国を復活しました。ところが強大なローマ帝国ができるとその属国となりました。ユダヤ教を信じるユダヤ人はローマの神を拝むことを拒否し反乱を起こし、紀元2世紀(135年)の第二次ユダヤ戦争に負けエルサレムから追放されました。これをディアスポラ(離散)と呼びます。これが、ユダヤ人が欧州各地に点在している根本理由です。一般的にはこの時点で普通の民族は各地で混血し溶けてなくなるわけですが、ユダヤ教を固く信じ「選民思想」(自分たちは神に選ばれた特別な民族)を持つユダヤ人は宗教・風習・団結を守り各地で商業・金融を牛耳るようになるわけです。このユダヤ人を受け入れた国、迫害した国があります。それに関しては次の章で述べます。

 

流浪のユダヤ人をやさしく受け入れた国と迫害した国

ローマ帝国にエルサレムを追われたユダヤ人はいくつかのグループに分かれてヨーロッパを彷徨いました。最初は今の西ヨーロッパ地域に住み着いた人々が多かったのですが、キリスト教徒の十字軍がエルサレムに遠征する途中、異教徒であるユダヤ人を見付け迫害を始めました。これがヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の最初です。またこの迫害を広義の意味のポグロムと呼ぶこともあります。十字軍に迫害されたユダヤ人は大きく二つのグループに分かれ移動しました。

西のイベリア半島に定住したグループは「スファラディ」と呼ばれ、一方現在のドイツ語圏や東欧地域に移住したグループは「アシュケナージ」と呼ばれました。西に行ったスファラディにとって、ユダヤ人を兄弟とみなすイスラム教徒がイベリア半島を支配している間は人頭税を払うだけで平穏に住むことができました。しかし15世紀にスペイン人がレコンキスタ(再征服)によりイスラム教徒からイベリア半島の支配を取り戻した後は異教徒として迫害されました。そのためスファラディのユダヤ人の多くはイベリア半島を脱出し、ユダヤ人を保護する商業都市、ベルギーのアントワープ(当時オランダ領)やオランダのアムステルダムへと移動しました。

一方東へ行ったグループ、アシュケナージは、今のドイツ語圏から東ヨーロッパに移住したわけですが、そのユダヤ人を保護した国がありました。これがポーランドです。13世紀のモンゴル軍の東ヨーロッパ遠征により国土を破壊され国民を殺害されたポーランド王にとってユダヤ人を招き入れ国を再興するのは国益にかなう選択でした。これでアシュケナージのユダヤ人は安住の地を得たように思えますが、実はここでなんとポーランド王国が滅んでしまうのです。

次回は、ポーランド王国が滅んだあとユダヤ人たちがどうなったかという話の前に、なぜユダヤ人が迫害されるかを書きたいと思います。

 

おわりに

「DIME勉強会」の連載記事の3回分をまとめて文章を整え少し加筆しました。次回はユダヤ人がヨーロッパでなぜ嫌われたかを踏み込んで書きたいと思います。今回のウクライナ紛争は独立国を侵略したロシアが悪い、それがすべてだと思っている人にぜひ読んで欲しいと思っています。ヨーロッパの歴史が怨念と復讐の歴史の繰り返しだということが分かってもらえる第一歩だと思います。

 

参考資料
参考資料(日本語):ウクライナのゼレンスキー大統領は愛国者か?、台湾軍事ニュースネット@参政党HP、2022/3/15
https://www.sanseito.jp/translation/4230/
参考資料(日本語):ポグロム、ホロコースト百科事典、
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/pogroms
参考資料(英語):Holodomor、Wikipedia、
https://en.wikipedia.org/wiki/Holodomor
参考資料(日本語):カチンの森の事件、コトバンク、
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6-45110
=====参考資料ここまで=====

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