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チェコ・プラハから拉致問題を問う

チェコ・プラハから拉致問題を問う「めぐみへの誓い」プラハ上映会で挨拶する山田さとしMプロジェクト監事とオンジェイ ヒーブルチェコ日協会会長

令和5年6月21日
山下フィンダ志保子(プラハ在住)

 
【拉致問題をチェコから】
北朝鮮による日本人拉致問題がかすかに進展の兆しを見せている。
 
岸田文雄首相は5月27日、拉致被害者家族会などが東京都内で開いた国民大集会で『私直轄のハイレベルで協議を行っていきたい』(1)と表明した。この2日後、北朝鮮の外務次官パク・サンギルが『日本が新たな決断を下し、関係改善の活路を模索しようとするなら会えない理由はない』と異例の速さで談話を〝返答〟したからである。
 
拉致問題は、小泉純一郎首相が2002年9月17日に訪朝し、10月に拉致被害者5名が帰国して以来、新たな被害者の帰国は実現していまない。その間に、拉致被害者である有本恵子さんの母・嘉代子さん、田口八重子さんの兄・飯塚繁雄さん、横田めぐみさんの父・滋さんと家族が相次いでお亡くなりになった。時間が無い。被害者の家族が生きているうちに救出せねば。
 
『何か大きな扉が開くタイミングがきているのではないか』。自民党の山谷えり子拉致問題対策本部長は6月2日の党会合でこう語り、ここ20年以上進展の無い同問題に手応えがありとの認識を示した
 
しかしながら高まった期待感に水を差すのは、このパク・サンギル外務次官が同時に岸田首相を「解決済みの拉致問題」(2)を提起しようとしていると非難している点である。やはり一筋縄では行かないのだろうか?
 
小泉訪朝の頃に盛り上がった拉致被害者帰国への国民の期待も昨今ではすっかり忘れ去られこの問題に取り組む人々も決して多くはない。世代によっては拉致問題を知らない層まで存在する。
 
そのような中、海外から拉致問題の啓発を行なっている民間団体がある。2021年封切りになった映画「めぐみへの誓い」(監督 野伏翔)にボランティアで字幕を付けて海外上映会を行なっている民間団体だ。
 
特定非営利法人拉致問題映画海外上映実行委員会 <M プロジェクト>はこれまでにアメリカ(ロサンゼルス、ハリウッド、ポートランド)ドイツ(ミュンヘン、アウグスブルク)韓国(ソウル)で上映会を開催した。この度、筆者は我が街、旧社会主義国で北朝鮮と友好国であったチェコ共和国のプラハで2回の上映会を行うべく手を挙げた。
 
チェコはチェコスロヴァキア時代に北朝鮮に対して大きな軍事支援をしており、現在でも北朝鮮と特別な外交関係を持っている。(プラハには北朝鮮大使館があり、平壌に独自のチェコ大使館を持っている)そんなチェコで拉致問題の上映会を開催することは大きな意味があると考えたからだ。
 
【チェコの近現代史】
チェコ(ボヘミア)は1437年から1918年までハプスブルク家の支配下にあった。
ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝とボヘミア王を兼ねるようになるとプラハは神聖ローマ皇帝の王宮、政治や文化の中心として発展し、帝国の首都として文化的に大いに繁栄していた。
 
第一次世界大戦後の1918年、チェコとスロヴァキアは合体しトマーシュ・マサリク大統領の下、他の東欧諸国が独裁主義や権威主義体制へ陥る中で民主主義体制を堅持した。が、国内に300万人を数えるドイツ系住民に代表される少数民族問題は解決されることなく、大恐慌による経済の悪化も重なって、逆にヒトラー政権に利用されることになり、1939年にはナチス・ドイツが進駐しチェコスロヴァキアが解体し、ボヘミア・モラヴィア地方がドイツの保護領(1939年から1945年)となってしまった。
 
プラハから北西に15kmほどのプラハ空港の近くにリディツエ村の跡地が今もそのまま保存されている。
ここは1942年ドイツ占領下だった時の総督、ラインハルト・ハイドリヒが暗殺された報復でナチスドイツにより村は徹底的に破壊され、住民は虐殺されたり収容所へ送られ、子供は100人中8名が<アーリア化に適している>とドイツへ拉致された(戦後には戻された)土地である。(3)
 
1945年ナチス・ドイツの敗走の結果、ソ連軍により国土の大半が解放された。しかしその頃第一次世界大戦後にソ連からチェコスロヴァキアに逃げてきたロシア人が、ロシア警察によって拉致されソ連に引き戻され収容所に収監されたということも起きた。
 
1948年に共産党指導者が大統領に就任しソ連型社会主義の建設に努め、1960年には国名もチェコスロバキア社会主義共和国となった。
 
1968年1月アレクサンデル・ドウプチェクが党第一書記長に就任。言論の自由化や計画経済への市場原理の導入、粛清犠牲者の名誉回復といった共産党体制の改革を進めた。これが<プラハの春>である。
しかし8月、“西側化”を危ぶんだソ連がワルシャワ条約機構軍を介入させて鎮圧(チェコ事件)<プラハの春>は終わった。
その後1989年のビロード革命まで共産体制が続いた。(4)
 
【日本における拉致問題を知ったチェコ人の反応】
このような歴史を持つチェコでの上映会は予想以上の反響があり、ほとんどのチェコ人は日本が抱えている拉致問題については全く知識を持たないことが示された。まさかあの日本がこれほど長い間、北朝鮮との間の拉致問題を全く解決できていないと知った彼らの驚きも非常に大きいものであった。アンケートでは上記第一次対戦後のソ連によるロシア系住民拉致事件を想起させられたと綴るもの、旧チェコスロバキアが北朝鮮国に軍事産業支援を行っていたことに言及する感想などが寄せられた。
<一般人は全く無力で、政治家は日朝間の見えない協定にまるで縛られているようだ><40年以上たった今でも、このような問題が存在することは、非常に恐ろしいこと。日本政府が北朝鮮に圧力をかけ、拉致被害者全員の帰国を求めないのは不思議である>これらの感想は全てチェコ人観客から出たものだ。(5)
 
我々日本人にとって辛い傷である拉致問題はチェコの人々にとっては彼ら自身の歴史の傷を想起させ、再び傷を抉り涙を誘う。上映後、目を真っ赤に泣きはらす人々や嗚咽を抑えきれずに咽び泣く人々の姿を多数見かけた。全ては現在進行形に彼らに語りかけ、我々が対峙しなければならない問題をあぶり出してくれたかの様だった。
 
上映会を準備していく中、チェコ人たちに拉致問題について一言説明しただけで私達の気持ちを察してくれ、無言で様々なことを協力してくれたことは、苦難の歴史を歩んできた民族ならではの行動でないかと思う。他人事ではないと感じてくれたのだ。
 
プラハ上映会は当初一回だけのつもりで5月21日にプラハ市立図書館内の小ホールを予約した。ところが予約開始後即座に席が埋まってしまい、しかもその予約のほとんどは現地チェコ人によるものだった。この時点で予想以上にチェコの人々の関心が高いことが感じられた。
 
思いもかけない満席にうれしい悲鳴を上げつつ急遽翌日の追加上映会場を模索する私に市内の高級ホテルであるアリアホテルのオーナーが上映施設の無償供与を申し出てくれた。さらに私が当日準備のために早めに会場に出向くと既に最高の状態で上映会ができるよう全てが滞りなく準備されていた。今回の映画会についての趣旨を説明すると「これは普通の映画会ではない」と先読みして全てを準備してくれている。全てが感動と驚きの連続だった。
上映会を滞りなくむしろ大成功で終了できたのは、現地チェコの人々のおかげでしかない。(もちろん陰で支えてくれた在留日本人の方々もいることもここでお伝えしておきたい)
 
チェコの人々は心温かく優しい人が多い。私がたまたま良い人に巡り合ってきただけなのだろうか?日本にいた頃、何人これほどの人情味あふれる人と出逢ってきただろう?共産体制だった頃は個人の自由などなく弾圧された中で暮らしてきたに違いない彼らは、時には日本人以上に人の気持ちを言葉無しに察し先回りして応援してくれる。今回の上映会でさらにそれを実感し確信できた。
 
チェコ日本友好協会という団体がある。チェコ人による日本との友好協会である。会長から理事など役員はすべてチェコ人。このチェコ日本友好協会が印刷費などの経費や宣伝、上映会当日のご挨拶のチェコ語への通訳など全面的に協力してくれたことも大変心強かった。
このチェコ日本友好協会を通して来年にはさらに規模の大きな上映会や近隣国への映画祭出品への可能性が出てきていて、今回の催しが次への橋渡しのほんの出発点だったと気付かされることとなる。とにかく今は先に進むのみ!もしかしたらここチェコから何かが変わるかも?!、、、不思議なチェコパワーを感じている。無論、拉致奪還という本来の目的を鑑みれば今のような目的で上映会をしなくてよくなる日が1日も早く来ることを願って止まない。
 
最後にチェコ人ジャーナリストが自身のブログに投稿した記事をここで少し紹介したい。
<もしヴィエラ・チャースラフスカー(6)が存命だったら必ずこの上映会に来ただろう。彼女が代わりに天から私をこの会場に送ったに違いない。  13歳の少女、横田めぐみさんが日本から北朝鮮に拉致された事件を描いた衝撃の日本映画であった。1977年11月15日、彼女は学校からの帰宅途中に北朝鮮の工作員に拉致された。帰国したいがための努力はすべて叶わないものだった。北朝鮮の共産主義政権の犯罪性をこれ以上強く証明するものはないだろう。>
 
(1)「日朝、拉致問題に進展の兆しか…首相、北の思惑を見極め」2023/6/5 19:22 産経新聞
(2)「北朝鮮、拉致問題は「解決済み」=外務省次官が岸田首相に反発」2023/5/29 12:26 時事エクイティ 海外経済ニュース
(3) https://cs.wikipedia.org/wiki/Lidice
(4) https://cs.wikipedia.org/wiki/Dějiny_Česka
(5) https://www.npomproject.com/
(6) チェコを代表する体操選手。1964年、1968年五輪にて金メダル計7個獲得したチェコの英雄。

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