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2024.04.05

国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし

皆さん、今日は。
参政党・八千代市議会議員の若松ひろしです。
お陰様で、議員となってはや15ヶ月が過ぎました。
この間、議会において強く感じたことの一つは、個々の地方議員が「この国をどうしたいのか」、「この国の問題についてどのように考えているのか」という、いわば”国家観”がほとんど感じられないという事でした。
 
例えば、これまで私は、議会に対して以下のような意見書や請願を提出し、他の議員の賛同をお願いして来ました。

1.「新型コロナワクチン接種に関して検証を求める意見書」

2.「経口中絶薬の承認反対を求める意見書」

3.「スパイ防止法の早期成立を求める意見書」

4.「新型コロナウイルス対策に対する適切な対応を求める意見書」

5.「パンデミック条約締結及び国際保健規則改正に係る情報開示を求める請願」

6.「LGBT理解増進法案の拙速な成立に反対を求める請願」

 
しかし、私のこうした活動に対し、ある会派の代表を務める議員から、次のように言われました。
「我々地方議員は、国の問題はやらなくていい、地方の問題をやっていればいいんだ」
それを聞いた時、私は「彼には、政治家のとしての矜持がないのか」と思わず叫びたくなりました。
 
さて、参政党の政策である10の柱の中の10番目には、自由と文化と日本の国柄を守り育てる“国家アイデンティティづくり”として、次のような記述があります。
「戦後失われた国家としての軸を再興し、国民が熱望をもって追求できる日本の国柄を反映した国家アイデンティティの確立をめざします。そのために、人々に感動を与える文化力と自由で責任ある言論・思想の育成を進め、国民が自らの人生の意味を感じられる幸福追求ができる国、外国からの影響に過度に振り回されることなく日本国民による多様な価値を内生的に生み出すことができる国、一人一人が納得感を持って日本に生まれてよかったと思える国づくりを日本が自ら進めることで、世界に大調和を生み出します。」
 
今年の1月、私はあるツアーに参加して、たまたま宮崎県宮崎市の平和台公園にある「平和の塔」を見学することができました。
地上36メートルというその高さに圧倒されるとともに、威容で壮大な塔を建立するに至った、当時の人々の思いに深く心を打たれました。
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真1:宮崎県宮崎市の「平和の塔」>
 
この塔の本来の名は、「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」といい、また正面に彫られた「八紘一宇(はっこういちう)」の4文字から「八紘一宇の塔」とも言われています。
当時は、この塔が十銭紙幣にデザインされるなど、大きな注目を集めていたことが分かります。
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真2:昭和14年に発行された十銭紙幣のデザイン>
 
戦後、この塔はGHQによって、「八紘一宇」の碑文が撤去されるなど、不遇な時期もありましたが、昭和39年(1964年)9月10日には、東京オリンピックの聖火リレーの起点となるなど、平和のシンボルとして親しまれるようになりました。
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真3:昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーの点火式の様子>
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真4:東京オリンピックの聖火リレーの起点を記念するプレート>
 
そもそもこの「平和の塔」は、「日本書紀」に記される神武天皇のご即位から2600年に当たる昭和15年(1940年)に「紀元2600年記念事業」の一つとして建立されたものです。
ちなみに、この塔をデザインしたのは、日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークである八咫烏(やたがらす)のデザイン制作者でもある彫刻家・日名子実三(ひなごじつぞう)氏です。
 
ご存知の方も多くいらっしゃいますでしょうが、この塔に刻まれた「八紘一宇(はっこういちう)」のもととなったのは、「日本書紀」巻第三の神武紀に記述された、神武天皇が大和の橿原(かしはら)に都を定めた時のご神勅(しんちょく)として『八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)とせんこと、またよからず』から来ています。(のちに、田中智学氏によって四字熟語に造語されました。)
“八紘”とは八つの方向、すなわち「全世界」を意味し、“宇”とは「家」を表します。
つまり、「八紘一宇(はっこういちう)」とは、世界のみんなが一つの家に平和に暮らす理想を願った言葉なのだと、私は解釈しています。
その理想を実現すべく、塔の建立には、アジア各地から集められた石が使われているのです。
「八紘一宇(はっこういちう)」を他国への侵略の意図と捉えるのは誤りです。
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真5:塔の建立に使われた石(満州国、北支などの文字が見える)>
 
この「八紘一宇(はっこういちう)」の理想は、「世界に大調和」をもたらさんとする参政党の理念にも通じるものだと私は思っています。
 
その理想を実現しようと、「紀元2600年記念事業」の際には、塔の建立の他、今では考えられないほどの、とてつもないエネルギーが注がれていたのをご存じでしょうか?
例えば、「神武天皇東征」の軌跡をたどり、聖蹟顕彰地として全国19カ所に聖蹟碑を建てるという国家事業が行われました。
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真6:神武天皇聖蹟菟狭(うさ)顕彰碑>
 
以下、神武天皇聖蹟顕彰碑の置かれた地の一覧です。

1:菟狭(うさ)推考地 大分県宇佐市(宇佐神宮)

2:崗水門(おかのみなと)福岡県遠賀郡芦屋町(戦後、近くの神武天皇社に移された)

3:埃宮多祁理宮(えのみやたけりのみや)伝説地 広島県安芸郡府中町(多家神社)

4:高嶋宮(たかしまのみや)伝説地 岡山市(高島神社)

5:難波之碕(なにわのみさき)大阪市(大阪天満宮)

6:盾津(たてつ)推考地 大阪府東大阪市

7:孔舎衛坂(くさえのさか)伝説地 大阪府東大阪市

8:雄水門(おのみなと)伝説地 大阪府泉南市(男神社摂社浜宮)

9:男水門(おのみなと)伝説地 和歌山市(水門吹上神社)

10:名草邑(なくさむら)推考地 和歌山市

11:狭野(さぬ)和歌山県新宮市

12:熊野神邑(くまぬのかみのむら)和歌山県新宮市(阿須賀神社)

13:菟田穿邑(うだのうかちのむら)奈良県宇陀市

14:菟田高倉山伝説地 奈良県宇陀市

15:丹生川上(にうのかわかみ)奈良県吉野郡東吉野村(丹生川上神社中社)

16:磐余邑(いわれのむら)推考地 奈良県桜井市(吉備春日神社)

17:鵄邑(とびのむら)奈良県生駒市(天忍穂耳神社)

18:狭井河之上(さいがわのほとり)推考地 奈良県桜井市(大神(おおみわ)神社)

19:鳥見山中霊畤(とみのやまのなかのまつりのにわ)伝説地 奈良県桜井市(等彌(とみ)神社)

 
それだけではありません。
神武天皇東征を再現するべく、宮崎県では昭和15年4月に「おきよ丸」という帆船を建造し、日向の美美津の港から大阪まで船団で巡行するという一大イベントを挙行しています。
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真7:神武東征を再現した「おきよ丸」の模型>
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真8:神武東征を再現し、大阪に到着した「おきよ丸」(先頭の帆船)>

 
さらに、音楽の分野でも、紀元2600年を祝う奉祝曲が数多く作られました。
一例をあげれば、森義八郎の奉祝国民歌「紀元二千六百年」、信時潔の紀元二千六百年頌歌、交声曲「海道東征」、伊福部昭の交響舞曲「越天楽」、山田耕筰の歌劇「黒船」など20曲以上の作品が寄せられ、海外5か国の有名な作曲家からも奉祝曲が寄せられました。
そして、昭和15年12月には盛大に奉祝曲演奏会も開かれています。
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし<写真9:昭和15年12月に行われた紀元2600年奉祝曲演奏会の様子>
 
まだまだありますが、紙幅の都合でここまでにさせていただきます。
 
私が言いたいことは、84年前の紀元2600年(昭和15年)に、祖国を守るために、あれほどの情熱と膨大なエネルギーを傾けた日本人の魂、即ち「大和魂」は、今どこに行ってしまったのかということです!
そして、16年後の紀元2700年(令和22年)の日本は、一体どうなってしまうのかということなのです!

 
紀元2700年(令和22年)の奉祝事業に向けて、一部の民間団体や神社庁を中心に奉祝行事が計画されていると聞き及んでおります。しかしながら、84年前の状況とは比ぶべくもありません。
せめて、神武東征聖蹟顕彰碑の修復事業をやるとか、戦艦大和の船体の一部を引き揚げ事業をやるとか、何か我々日本人の魂を揺さぶるような、そして戦後失われた民族の記憶を取り戻すようなきっかけを作らなければならないと思っています。
しかし、今の政府には全く期待できません。
そのためには、他人任せにせず、自ら行動し、きっかけを作り、実現していく必要があります。
それをやるのが「自由と文化と日本の国柄を守り育てる“国家アイデンティティづくり”」を政策に掲げる参政党だと思っています。
 
<参考>
参政党公式HP
https://www.sanseito.jp/hashira10/
Wikipedia(八紘之基柱)
https://ja.wikipedia.org/wiki/八紘之基柱
宮崎県秘書広報課
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/10_tosen.html
Wikipedia(皇紀2600年奉祝曲)
https://ja.wikipedia.org/wiki/皇紀2600年奉祝曲
 

若松ひろし
Wakamatsu Hiroshi
 
国家アイデンティティづくりについて|若松ひろし
所属議会
八千代市議会議員(千葉県)
 
経歴
妻と子供4人の6人家族。八千代市に暮らして29年。
平成9年にIT会社を設立し、代表取締役に就任。
ITで企業の業務改善に長年取り組んで来た経験と実績を活かし八千代市の諸問題を解決します!
 
Facebook:https://www.facebook.com/hiroshi.wakamatsu.549
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