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2022.06.17

ウクライナ紛争の歴史的背景(2)なぜユダヤ人が迫害されるのか?-編

ウクライナ紛争の歴史的背景(2)なぜユダヤ人が迫害されるのか?-編

 

2022/6/17 台湾軍事ニュースネット

はじめに

今年(2022年)2月末のロシアのウクライナ侵攻で始まったウクライナ紛争は、現時点でも解決はおろか、停戦交渉も遅々として進んでおりません。主権国家であるウクライナに侵攻したロシアに非があることは確かですが、一方ウクライナ側に何の問題もないわけではなく、そのウラには巨大な力が働いているように思えます。それを日本の大手マスコミのように一方的に「ロシアは悪」、「ウクライナは善」、「ゼレンスキー大統領は英雄」だと報道するのは問題の本質から目をそらしているよう感じます。

この文章は「DIME勉強会」で連載しているヨーロッパの歴史的背景を第4回から第6回までまとめて加筆したものです。今回のウクライナ侵攻の裏にある何世紀にもわたる民族間の怨念の歴史を感じていただけたらと思い筆を進めています。

なぜユダヤ人が迫害されるのか?

前回、ローマ帝国によりエルサレムから追放されヨーロッパ各地に散ったユダヤ人が、キリスト教徒である十字軍に迫害されたのが「ポグロム」の始まりだと述べました。離散(ディアスポラ)後ユダヤ人が特に反乱を起こしたわけでもないのに、なぜ迫害されたのでしょう?

第一の理由は宗教です。ユダヤ人はユダヤ教を守り、離散したあとでも宗教指導者のもとでユダヤ教の戒律に従いました。多数派のキリスト教徒(当時はカソリック)から見ると明らかに異教徒ですし、キリストをゴルゴダの丘で磔の刑にしたのもユダヤ人だからです。

二番目の理由はユダヤ人の生業です。自分たちの土地を追われたユダヤ人が食べていくには、商業と金融業(金貸し)しかありませんでした。小さい時に紙芝居で見た「ベニスの商人」という話を覚えているでしょうか?イタリアのベニスの商人がシャイロックというユダヤ人からカネを借りたのですが、商売に失敗して返せなくなりました。シャイロックは返済の繰り延べを認めず、借用書にあるように商人のカラダの肉で払えと主張し裁判になったという話です。結果は大岡裁きのように、肉を切っても良いが、血は一滴も流してはならないという判決だったと思います。ここでは、金貸しのユダヤ人が明らかに憎悪の対象になるように憎々しげに描かれています。

三番目の理由は後ろ盾となる国を持たないことです。それが何を意味するのか私たちに分かり易いように、よく似た例を日本の江戸時代に求めてみたいと思います。江戸時代の産業は主に農業、米作りでした。領地を治める大名は参勤交代や幕府に命じられた普請のため常に金がなく大坂や各地の豪商から利子の付くカネを借りていました。日本の江戸時代は、大名も豪商も共に日本人だったので問題は少なかったのですが、この豪商が異民族で、しかも日本人と違う神を拝んでいて、そして後ろ盾の国を持たなかったら、と想像してみてください。ひょっとして日本でも迫害が起こっていたかもしれないです。

ヨーロッパの中世も江戸時代の日本と同じで、一般の人は農業か牧畜でのんびりと暮らしておりました。そこに大金を持ち、それを高利で貸し出し、異なった神を拝み、後ろ盾の国を持たないユダヤ人が流れてくれば、嫉妬心を掻き立てられ虐待したくなるのは人間の悪いサガなのかもしれないです。

ユダヤ人を保護したポーランドの消滅

この連載はそもそもウクライナとロシア間の紛争の歴史的背景に関するものなのになぜユダヤ人のことばかり書くのか疑問に思っている読者も多いかと思います。その理由はおいおい分かってくると思っていますが、現時点でヒントを挙げておきます。ウクライナ大統領のゼレンスキー氏はウクライナ国籍を持っていますが、ロシア語を母語とするユダヤ人です。そのゼレンスキー氏を裏で支援しているアメリカの外交責任者である国務長官のブリンケン氏もスラブ(ウクライナ・ロシア)系ユダヤ人の子孫ですし、ブリンケン氏の下で外交を統括する立場の国務次官のヌーランド氏もスラブ系ユダヤ人です。そして投資家で、裏で糸を引いていると言われているソロス氏もハンガリー出身のユダヤ人です。キーマンにユダヤ人が多いのですね。彼らの祖父母から伝えられた民族的怨念を考えることによって今のウクライナ情勢の理解が進むと思っています。

さて中世ヨーロッパの話に戻りますが、ポーランドは13世紀のモンゴル軍による破壊から立ち直り、16世紀にはポーランド・リトアニア連合として黄金期を迎えました。アシュケナージのユダヤ人はポーランド王国の中で発布された「カリシュの法令」により社会的権利を保護され、財産や力のあるものはポーランド貴族(シュラフタ)にさえ取り立てられました。もっとも国王の都合で財産や利権を取り上げられ国外追放になったユダヤ人も少なくなかったようです。

当時のポーランド・リトアニア王国は、血統ではなく選挙で国王を選ぶ選挙君主制を取っていたわけですが、18世紀に入ると国王選挙に対する外国の干渉が深刻になりました。そして大北方戦争やポーランド継承戦争(1733年 – 1735年)をはじめとする戦争や内戦が繰り返されるようになり、国が衰退しました。

ポーランドに隣接するロシア帝国、プロイセン王国、オーストリア(ハプスブルグ家)の三強国は、ポーランドの衰退をみて1772年、1793年、1795年の三度に渡ってポーランド分割を行いました。ロシアが旧リトアニア大公国(ポーランド東部)とウクライナの大部分、オーストリアがガリツィア地方(ポーランド南部とウクライナ西部)を獲得し、北西部はプロイセンが併合しました。三度の分割でポーランドの領土は完全に3国に併合し尽くされ、ポーランドは消滅しました。ロシア、中国、アメリカに囲まれた日本も他人ごとではないですね。

ポーランド分割による国境の消滅により、アシュケナージの中にはふたたび西欧に戻ったり、新大陸(アメリカ)へと移住したりするものも現われました。しかしその大多数は現在のポーランド、ベラルーシ、ウクライナ西部(ガリツィア)の三地域に居住し続けました。庇護してくれる国ポーランドがなくなった彼らの運命はどうなったでしょう?

ポーランドの代官となったユダヤ人はウクライナ人から恨まれていた

8世紀末頃,北欧から来たヴァイキングのリューリックの一族がキエフにキエフ・ルーシ(キエフ公国)を設立しました。キエフ公国は, 10世紀にギリシャ正教を導入し,当時の欧州において大国の一つになりました。しかし13世紀のモンゴル軍の侵入によって崩壊し、ルーシの中心はモスクワに移りました。(モスクワ大公国)そして国力の衰えたキエフ公国、今のウクライナの大部分はリトアニアポーランド王国の支配下に入りました。

そのころのポーランドはモンゴルの侵略の後、西洋に居住していたユダヤ人を自国に導き保護し、彼らの情報力、商業・金融能力を活用した結果国力が伸長していました。ポーランドもスラブ人の国ですが、ギリシャ正教を採用したウクライナやロシアと異なり、カソリックを国教としておりました。ウクライナの大部分を手に入れたポーランドがウクライナを支配する際、異民族で異教徒のユダヤ人を日本でいうところの代官としてポーランド貴族とウクライナ人民の間に立たせ、徴税など恨まれる仕事は彼らにやらせました。

同じころ、ウクライナ南部,黒海沿岸にかけてポーランド,リトアニアからの逃亡農奴を中心としたウクライナ・コサック集団が形成されました。17世紀にはキエフ公国を再建し,ギリシャ正教を採用しました。強大化したコサック集団に対し,ポーランド政府は統制下に置こうとし、1648年にはボグダン・フメリニツキーに率いられたウクライナ・コサックと全面戦争に発展しました。

このコサックとポーランドの戦争の際、スラブ人であるコサックに最初にやられるのは敵国ポーランドの代官であるユダヤ人でした。情報網をしっかり持っている金持ちユダヤ人は早々と逃げるのですが、貧しいユダヤ人は取り残され虐殺の犠牲者となりました。これが狭義のポグロム、スラブ人によるユダヤ人虐殺の第一歩です。

ポグロムからは話がそれるのですが、ウクライナとロシアの大事な関係、ウクライナがロシアの宗主権を認める事件が発生しました。歴史的にはキエフルーシーが発祥の地なので、キエフ(ウクライナ)が本家、モスクワが分家のはずです。でもここで関係の逆転が確定しました。ポーランドと戦っていたコサックの隊長のフメリニツキーは劣勢を挽回するため,ロシア皇帝に対ポーランド戦の援軍を求め、その代わりにロシア皇帝の宗主権を認めました(ペラヤスラフ協定)。協定に従いロシアはポーランドと戦い,アンドルソフ講和によりドニエプル川右岸(西側)はポーランド領,左岸(東側)及びキエフはロシア領となりました。これが現在においても、ロシアがウクライナは自分の領土だと思う理由の一つです。またドニエプル川がよく言われるウクライナを東西に分ける切れ目になりました。

今回はウクライナとロシアの関係に触れました。ヨーロッパの歴史を動かしているのは、戦いやそれに伴う協定だけでなく、長年にわたる祖父母から語り継がれた怨念も大きいに違いないのだろうと感じてもらえたでしょうか?もう少しポグロムについて話した後、皆さんも良くご存知のナチスによるユダヤ人虐殺、ホロコーストについて書き進めたいと思います。

おわりに

次回はポグロム:スラブ人によるユダヤ人虐殺やロシア革命について書きたいと思います。今回のウクライナ紛争は独立国を侵略したロシアが悪い、それがすべてだと思っている人にぜひ読んで欲しいと思っています。ヨーロッパの歴史が怨念と復讐の歴史の繰り返しだということが分かってもらえる第一歩だと思います。

参考資料
参考資料(日本語):ウクライナのゼレンスキー大統領は愛国者か?台湾軍事ニュースネット@参政党HP、2022/3/15
https://www.sanseito.jp/translation/4230/
参考資料(英語):History of Poland、Wikipedia、
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Poland
参考資料(日本語):日本大百科事典ベニスの商人の解説、コトバンク、
https://kotobank.jp/word/ベニスの商人-129867
参考資料(日本語):キエフ公国/キエフ=ルーシ、世界史の窓
http://www.y-history.net/appendix/wh0601-125.html
参考資料(日本語):ポグロム、ホロコースト百科事典、
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/pogroms

=====参考資料ここまで=====

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